「渇き。」より断然「渇き」。

 

バラバラな刺激、それぞれが仮に面白かったりかっこ良かったりしても、

それ自体に意味が無いものが120分与えられ続けても面白くなる訳じゃない。

 

話の時間軸を前後させたり細切れで見せていく手法がダメってことじゃない。

シーンによって画質を変えたりするのが悪い訳じゃない。

個別で(15秒単位で?)かっこいいと思うシーンはそれは確かにあった。

 

けど、そうする意味が作品になきゃ、ただ面倒で目障りなだけだ。

作品としての誠実さが伝わってこなくてどんどん不快さが澱のように溜まってきた。

 

細部が全体としての作品に奉仕してない。

それは「映画」というフォーマットの芸術として如何なものかと思う。

 

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でズバリ指摘されている通り、一事が万事この調子なので、「痛み」も何も迫って来ない。

 

「残酷」で「エグくて」ちゃんと「エロ」いから韓国映画っぽい、みたいなことを書いてる人もネット上で見かけるけど、「え、本気? 本気で同じようなもんだと思ってんの????」と思う。

 

あと、ですね、僕の大好きな(それこそ)韓国の映画監督パク・チャヌクの近年の傑作で、ソンガンホ様主演の邦題「渇き」という作品があるのに、ですね、なんでこんなほぼ同じタイトルつけちゃいますかね。原作小説のタイトルはもっと長いのに…。

 

その不遜さ、というかリスペクトの無さがなんというか残念です。

(だって絶対知らない訳じゃないから…)

 


映画『渇き』予告編 - YouTube

 

追伸:主役の小松菜奈といじめられっ子の美少年君はとても良かったです。